火炎と水流
―邂逅編―


#6 学校は楽しいな!

   

「え? 学校?」
「ああ。その方が自然だからな。あれから、おれも考えてみたんだ。中2のクラスだ。ま、無理にとは言わんが」
「え? マジ? 本当? おいら、学校に行ってもいいの?」
「ああ。これが制服。それに鞄と文房具。足りない物はおいおいそろえるということで」
火炎がいろいろ並べていると、ギュッと水流が抱きついて来た。
「火炎、ありがとう! 愛してる!」
「離れろ! 気色悪い!」
と、突き飛ばされても邪険にされても何のその、水流は上機嫌だ。

「水流、いいなあ。桃香も学校行きたい!」
「桃ちゃんも来年、6才になったら学校に行けるよ」
「ホント? 桃香も早く行きたいな。学校、学校。早く来い」
と桃香が言うと、水流まで学校、学校と騒いでいる。
「そんなに、うれしいか?」
と、火炎は少し複雑な顔をして訊いた。水流は、
「うん!」
とうなずく。
「それにしても、書類とかはどうしたんだ?」
「紙切れ一枚だ。心配するな。おまえは、人間の子供として普通に学校へ通えばいい」
「ああ。ホント。ありがとな。火炎。おめー、ホントにいい奴だよ。なあ、制服、似合う?」
と、真新しい制服を着て何度もクルクル回ったり、鏡の前でポーズをつけてみたり、幾度もネクタイを結び直したりして、夜になっても興奮してなかなか眠れないようだった。


「皆さん、転校生の谷川水流君です。仲良くしてあげてくださいね」
と、担任の浜野先生に紹介されると、水流はペコリと軽く頭を下げた。2年4組。それが、水流が入ったクラスだった。
「それじゃ、あなたは水原君の隣に座って」
と、先生に言われた席に行く。
「よろしく」
水原は少しメガネをずり上げて、人のよさそうな笑みを浮かべて言った。
「ああ。こっちこそよろしく」
そう言って水流も席に着いた。
(水原だって。こいつも水系かな?)
と思ってワクワクした。1時間目は担任の国語の授業だった。まだ教科書を持っていなかった水流に、水原が親切に教科書を見せてくれた。が、水流には、さっぱり意味がわからなかった。しかし、水流にとっては何もかも初めてだったので興味深かった。特に、教室の中や生徒達を観察するのに忙しく、あっと言う間に1時間目は終わった。休み時間になると、ワッと生徒達が水流の周りに集まって来た。

「ねえ、谷川君てどこから来たの?」
「得意な科目何?」
「おいらがいたとこ、いなかだからさ。自然のことなら得意だぜ。特に川の生き物とかさ」
「へえ。理科が得意なんだね。他には? 好きな女の子のタイプとか?」
「えーと、おいら、女の子はみんな好きだよ」
と水流が答えると、みんな、キャーキャー騒いだ。
「やっだ。谷川君てば、かわいいっ! ねえねえ、前の学校で彼女いた?」
「いや。今、大々的に募集中!」
「へえ。じゃあ、わたし立候補しちゃおうかな?」
「やだ! ずるい! ユッコ! 抜けがけ反対!」
と、複数の少女達が口をそろえて言った。

「そうそう。よせよせ。こんなワガママ女」
水原がささやいた。すると、彼女が、その水原の耳を引っ張って言った。
「誰がワガママ女ですって?」
「あ、すみません。間違えました。暴力女の間違いです」
と水原が言い、思い切り彼女にぶたれて悲鳴を上げた。みんなは、やれ! やれ! とはやし立てたが、水原は、な? な? と水流に目配せした。
(何かさ、みんな、いい奴じゃん。これなら、友達になれそう!)
水流はただ、うれしくて仕方なかった。2時間目は社会、3時間目は体育の授業だった。社会は退屈だったが、体育はサッカーで、水流にとってはかなり充実した時間になった。
「谷川君ってサッカーうまいんだね」
「まあね。でも、本当は水泳の方がもっと得意なんだけどね」
「え? すごーい! 選手だったの?」
得意そうな水流。みんなからチヤホヤされて気分がよかった。と、その時。廊下で女の子の泣き声がした。

「何だ? どうしたんだ?」
と、滝本がきいた。
「ああ。陽子が、お母さんの形見のネックレス落としちゃったんですって」
と、女の子達が教えてくれた。
「落としたって、どこへさ? おれ達、探すの手伝ってやろうか?」
男の子達がそろって廊下へ出て行った。水流もついて行く。
「それが、ダメなのよ」
と、陽子の肩を抱いてなぐさめていた植野が言った。
「どうしてダメなのさ? 探してみなきゃ、わからないじゃんか」
集まった生徒達は口々に言ったが、陽子は悲しそうに首を横に振った。
「だって、ここに……排水管に流れて行っちゃったの。体育が終わって、手を洗おうとしたら、チェーンが切れて、あっと言う間に流れてしまったの……!」
と、陽子はショックを隠せない。

「こいつは、さすがにお手上げかもな」
と、排水管をのぞき込んでいた滝本が言った。中は暗くて何も見えなかった。
「そうだな。これは、やっぱり業者呼ばないと無理かも……」
と澤田もしゃがみ込んでパイプの位置を調べて言った。集まった者達も困ったように首をすくめて顔を見合わせていると、始業のベルが鳴り、英語の萩先生がやって来て言った。
「ほらほら、何をしている? とっくにベルが鳴っていますよ。教室に入って!」
それで、みんな、渋々教室に入って行った。が、最後まで残っていた陽子をかばうように植野が言った。
「先生。陽子が水飲み場の排水管に、大事なネックレスを落としちゃったんです。業者の人を呼んであげてくれませんか?」
が、教師は冷たく言った。
「そんな勝手な理由で業者を呼ぶことなんてできません。第一、学校に装飾品を持って来るなんて校則違反でしょう? あきらめなさい。さあ、授業は始まっているのですよ。二人共、早く教室に入って!」
と、先生はムリヤリ二人を教室に押し込むとピシャリと扉を閉めた。

「へえ。ネックレスね」
と、水流はつぶやいた。彼はまだ教室に入っていなかった。影から様子を見ていたのだ。
「よっしゃー! そういうことなら、おいらに任せとけってんだ」
辺りに誰もいないのを確認すると水流はドロッと溶けて水になり、排水管へと飛び込んで行った。後には、スッポ抜けた制服だけがクタリと落ちている。それから、数秒もしないうちに、また入って行った排水溝から水の塊が出て来た。そして、通路にトロリと流れる。と、さっき脱いだ制服の中へと吸い込まれた。すると、たちまち服は膨らみ、伸びて、手と足が出た。そして、最後にニョッキリと頭を出すと、よし! と水流は満足そうに、手にした黄金のネックレスを見た。

「これを陽子ちゃんに渡したら、どんな顔するかな?」
自然と顔の筋肉が緩んで来る。ついに、人間の役に立つことができたのだ。水流はニッコリ微笑むと、そっとネックレスをポケットに入れた。そして、何くわぬ顔で教室の後ろの扉から入った。萩がジロリとにらんだが、水流は、
「すみませーん。おしっこに行ってて遅れましたあ!」
と言って席に着いた。生徒達の間からクスクス笑いが起きたが水流は気にしなかった。
その授業はとても長く感じた。さり気なく陽子の方を見ると泣きそうな顔をしていて元気がない。途中、一度だけ、陽子が指名されたが、うまく答えられずに叱責を受けた。この先生はいじわるだと水流は思った。そうして、ようやく長く退屈な授業が終わり、水流が陽子の前にネックレスを出すと彼女はひどく驚いて水流を見た。
「これを、どうして……?」
「さっき、トイレの前で見つけたんだ。排水管に流れたと思ったのは勘違いだったんだよ」

さすがに、自分は水の妖怪で水になって排水管に潜り、取って来たのだとは言えなかった。火炎からも、くれぐれも騒ぎを起こさないように、また、正体がバレないように、能力は使うな、と言い渡されていたのだ。本当なら、あんな行為自体とんでもないことなのだが、
(バレなきゃいいのさ。人前でやったワケじゃねーんだし。人助けだもんな)
と割り切っていた。
「ありがとう! これね、わたしの宝物なの。お母さんの形見だから、ずっと身につけていたくて……本当にありがとう。大切にするわ」


「そいでさ、みんながさ、『キャー! 谷川君ってかわいいっ!』とか言ってさ、大変だったわけ。『抱きしめたくなっちゃう!』なーんてさ。こう、ギュッギュッギューッと!」
言って、いきなり火炎にしがみついて来た水流を火炎はフライパンでパンッとたたいた。
「抱きつくな!」
その拍子に炒めていたウインナーが1本、ポンッと空中に飛んだ。
「痛っ! 何すんだよ? 危ねーな! あ、1本もーらい!」
飛んだウインナーをキャッチすると、
「アチッ! アチッ! アチッ!」
と言いながら、左右の手の中でポンポン移動させながらフーフーして、それをパクンと口に入れた。
「あー、食べちゃった」
と、桃香が驚いたように言う。と、火炎がにらんだ。が、当の水流はどこ吹く風だ。
「ったく。危ないのはおまえの方だろうが」
と火炎はブツブツ言って料理の続きを始めた。

それから、夕飯の支度がすっかり整っても、まだ水流はペラペラしゃべっていた。
「そいでさ、体育の時間には水原がね……あれ? 何でおいらの皿だけウインナーの数が1本少ないの?」
「おまえ、さっき1本食べたろうが」
と火炎が冷たく言うと、水流がゴネた。
「エーッ? やだよ! おいらも3本欲しいよ。おいら、ウインナー大好きなんだもん」
「うるさいっ! 先に食べたおまえが悪い!」
「だってさあ……」
思い切り不満そうな水流。

「足りない? なら、桃香の1本あげようか? 水流」
見かねたように桃香がそっと自分の皿を差し出す。
「え? ホント? 桃ちゃん。いいの? 桃ちゃんて、ホントにいい子だね」
うれしそうな水流。が、火炎はそれを阻止した。
「桃香、そんなことしなくていい! クセになる」
「だって、水流、かわいそう」
同情する桃香を愛しそうに見つめて火炎が言った。
「そうか。かわいそうか。桃ちゃんはホントにいい子だね。でも、桃ちゃんは自分の分をちゃんと食べないとダメだよ。桃ちゃんは、これからしっかり大きくならなくちゃいけないんだからね」
「でも、水流は?」
「おれのをやるさ。この食いしん坊にはね」
と言って、火炎が自分の皿から1本分けてやった。
「火炎。やっぱ、おめーはいい奴だよ! ありがとー」
水流は、もらったウインナーをほおばると顔いっぱいニコニコとうれしそうに笑った。